ぐにゃり ページ9
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「ウチは年上に敬語使えとかそういうんちゃうし。」
「で、でも。」
「俺がお嬢に敬語使わせてるなんて親父にバレたら殴られるんちゃうかな?」
ハハハ、と乾いた笑いが響く。それを聞いて、Aはスッと全身から血の気が引くのを感じた。自分にはあんなに優しかった父親が、人を殴るなんて思えなかったからだ。
実際は、娘に意地悪をするだとかちょっかいをかけるようなヤツであれば躊躇しないものの、娘がどんなふうに部下と接していようと娘の好きにするべきだと、敬語を使っている程度では殴るなんて物騒なことはしない。しかし、そんなことを知る由もないAは、自分の行動のせいで殴られてしまうような事態があってはいけない、と唾を飲んだ。
「わ、わかりまし⋯⋯わかった。」
もごもごとたっぷり悩んでから、そう答える。向かい側のトレーを見るとそこは既に空っぽで、同じように食べていたと思っていたのに、自分の分のポテトしか残っていなかった。食べるペースが全然違う。慌ててAが残っていた数本のポテトを一気に口に入れる。
「もうない?全部揃えた?」
ゾムはプリントを確認すると、これ買った、これも買った、とひとつずつ消していく。全て買ったはずだから、大丈夫。そう言おうと思って、外から見たデパートの景色を思い出した。
「あ、あの。」
「ん?」
「えーっと、買うものは全部買ったんだけど。」
「うん。」
Aは俯いて、しばらく言いづらそうに言葉に詰まっていたが、意を決して口を開く。
「屋上の、観覧車、の、乗りたいなーって。」
ゾムは特に何も言わず、佇んでいた。たっぷり無言の時間が続く。ポテトの揚がる軽快な音楽が合間に流れた。
「無理。」
やっと口を開いたかと思えば、淡い期待を打ち砕くように、短く端的にそう言った。それで、そのまま食べ終えたものを片付けると、つんとそっぽを向いてAを待っている。
無理、だなんて。そんなふうに言わなくたって、という気持ちと、やってしまった、という気持ちでメンタルがぐにゃりと曲がった。
案外大丈夫かも、なんて勘違いだった。Aは分かったような気でいたのが、酷く恥ずかしかった。
やっぱり怖い人なんじゃないか、と緩みきった緊張の糸を再び引き締める。特に何を話すでもない空気が、また気まずく感じられた。
帰り道、そんな心境とは裏腹に、車の外に見える桜並木は暖かな風に吹かれ、緩やかに花弁を散らしていた。
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作者名:月出里 | 作者ホームページ:https://mobile.twitter.com/home
作成日時:2024年3月12日 22時